外から来たものが、風景になるまで
マンダリンオリエンタル・バンコクを、私はずっと「タイのホテル」だと思っていました。それは勘違いというより、そう思わせるだけの時間が、あそこには流れていたからだと思います。
このホテルの始まりは1876年。まだこの国が「サイアム」と呼ばれていた時代、チャオプラヤ川沿いに生まれた、外国人船員のための小さな休憩所だったそうです。
「オリエンタルホテル」というタイで最初の西洋式ホテルだったと言われています。
「外から持ち込まれたブランド」ではなかった、ということです。バンコクにゼロから進出した外資ホテルではなく、タイの近代化とともに、ずっとそこに在り続けてきた場所だった、ということです。
1974年に、香港のマンダリン・グループがこのホテルに加わります。
現在の「マンダリンオリエンタル」という名前は、このときに生まれました。
ただ、この出来事は、「外資が入ってきた」というよりも、すでに長い時間を積み重ねてきた場所に、新しい名前が重なった、と捉えた方が自然かもしれません。
このホテルの起点は1876年。
まだ「サイアム」と呼ばれていた時代に生まれ、チャオプラヤ川沿いで140年以上の時間を過ごしてきた場所です。
つまり、この場所は、マンダリンというブランドが加わる以前から、すでにバンコクの中で固有の文脈と記憶を持った存在でした。
だからこそ、外資であるマンダリンが関わるようになって以降も、このホテルについて語られるとき、「外資かどうか」という点は、ほとんど前に出てきません。
それは隠されているのではなく、そもそもこの場所を理解するうえで、中心的な要素ではないからです。
語られてきたのは、ここがどのような時間を積み重ね、誰を迎えてきたのか、ということでした。
外から来たブランドがゼロからこの土地に根付いた、というよりも、
すでにこの土地の一部であった場所に、外資が静かに重なり、その文脈の中に溶けていった。
結果として、マンダリンオリエンタルは、外資であることを強調する必要のない存在になっていきました。
人と人が向き合ってしまう場所
チャオプラヤ川沿いは、かつて国境の内と外が交わる場所だったそうです。
外交官や商人、知識人。立場も国籍も異なる人たちが、同じ空間で言葉を交わす必要があった場所なのではないでしょうか。
マンダリンオリエンタルは、そのための「装置」だったのかもしれません。
何かを教える場所でも、価値観を押し付ける場所でもなく、人と人が、自然に向き合ってしまう場所です。
彼らが大事にしてきたのは、「アジアのルーツ」と「現地の文化」の融合だと言われています。バンコクにおいては「タイらしさ」を演出するのではなく、ホテル自体がタイのホスピタリティの基準(ものさし)となってしまったため、あえて外資であることを強調する必要がなくなったのです。
結果としてこのホテルは、140年以上にわたって、タイ人にとっても「外のもの」になりませんでした。外から来たはずなのに、いつの間にか、風景の一部になっていたのです。
それは奇跡というより、どこに立ち、何を語らないかを、長い時間をかけて選び続けてきた結果、そう見えるようになった、ということなのかもしれません。
マンダリンオリエンタル・バンコクは、多くを語らないホテルだと感じます。
外資であることも、長い歴史を持っていることも、調べようと思えばすぐに分かります。
けれど、それらが前面に出てくることはありません。
その背景には、この場所が、140年以上かけて、バンコクという土地の中で文脈を蓄積してきた「場」であり、マンダリンという外資ブランドは、その上に後から重なった存在です。
だからこそ、「どこから来たか」を強く語る必要がない。
すでに「どこに立っているか」が明確だからです。
この順序が逆であれば、おそらく語り方はまったく違うものになっていたはずです。
ゼロから進出した外資であれば、自らの正当性や価値を説明し続ける必要があったかもしれません。
しかしここでは、その必要がない。
だから、このホテルは、地域社会から切り離された存在ではなく、最初から「この土地の一部」として振る舞ってきました。地元の人を雇い、地元の文化や手仕事に敬意を払い、静かに、経済と時間を循環させてきた。それを、社会貢献だと大きく語ることもなく、ブランドの約束として掲げることもありません。ただ、そう振る舞ってきただけです。
だからこそ、「ここに来れば、嘘のないタイの時間に触れられる」
そう感じる人が、長い時間の中で途切れなかったのだと思います。
ICHI media は、何を語らない「場所」でありたいのか
マンダリンオリエンタルの姿を見ていて、拠点としての在り方という意味で、ふと、ICHI media のことを考えました。
ICHI は、日本の漢字の「市」が由来です。
市場の「市」です。
振り返ってみると、私たちは最初から、何かを教えるためのメディアをつくろうとしていたわけではなかったのだと思います。DXにおける課題や違和感、関心のようなものが、自然と持ち込まれてしまう場所でありたい。そんなふうに考えています。
マンダリンオリエンタル・バンコクの歴史や佇まいは、ICHI media にとって「目標」や「同列に並ぶ存在」というより、遠くにある憧れにも似た「簡単には届かない存在」のようなものです。
長い時間をかけて信頼を積み重ね、多様な人や価値観を自然に受け入れてきたその在り方は、簡単に真似できるものではありませんし、私たちが今すぐ手に入れられるものでもありません。
ただ、その距離をきちんと認めたうえで、
「情報や人が集まる場所とは、どういう振る舞いをするのか」
「語りすぎないことが、結果として信頼につながることもあるのではないか」
そんな問いを投げかけてくれる存在ではあります。
ICHI media もまた、すべてを説明し、正解を提示する「市」ではなく、それぞれが立ち止まり、考え、持ち帰る余白を残す場所でありたい。その姿勢を意識していたいと思っています。
知っている人は、知っている。
知らなくても、特に困らない。
でも、必要な人にとっては、そこに行けば話が通じる。
そんな「市」を、タイの中で育てていきたいのです。
前述のとおり、チャオプラヤ川沿いが、単なる川岸ではなかったことは、歴史を辿るとよく分かります。外交官が行き交い、商人が情報を持ち込み、知識人が言葉を交わす。ここは長いあいだ、国境や立場を越えたものが、自然と集まり、混ざり合う場所でした。
誰かが「拠点をつくろう」と設計したわけではありません。ただ、人と情報が流れ着き、必要とされ続けた結果、そこは国際交流の最前線になっていった。
その姿は、「市(Market)」や「市場(Market Place)」に近いものだったのかもしれません。
なんとなく、ICHI media も少し似た道を歩んでいるように感じます。
DXという言葉の周辺にある、整理しきれない問いや違和感が集まり、いつの間にか、情報だけでなく、人そのものが集まる場所にしようとしています。
課題を抱えたタイのローカル企業の経営者が訪れ、答えよりも、対話を持ち帰っていく。誰かにとっての「正解」を売るのではなく、考えるための場を、ひらいておく。そんな場所にしたいと思っています。
「ICHI」という名前が、後から腑に落ちたのは、自分たちがつくろうとしていたものが、結局のところ、「市(Market)」のような場所なのだからだと思います。
- Charlie